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東京地方裁判所 昭和26年(ワ)6628号 判決

原告 諸泉正士

被告 日本電信電話公社

主文

被告は原告に対し金七拾七万五千百七拾円及びこれに対する昭和二十六年十一月二日以降右金員完済に至るまで年五分の割合による金員を支払え。

原告のその余の請求を棄却する。

訴訟費用はこれを三分し、その一を被告の負担とし、その余を原告の負担とする。

事実

原告訴訟代理人は「被告は原告に対し金三百二十六万四千二百十円及び内金百六十九万三千二百三十円(昭和二十九年二月十五日附原告準備書面の「請求の趣旨再訂正、補充」の項に、二百二十一万八千二百三十円とある記載は誤記と認める)に対する昭和二十六年十一月二日以降完済まで年五分の割合による金員、内金百五十三万九百八十円に対する昭和二十八年六月六日以降完済まで年五分の割合による金員、並びに昭和二十八年六月七日以降本判決確定に至るまで一日金二千三百四十円の割合による金員を支払え。訴訟費用は被告の負担とする。」との判決並びに仮執行の宣言を求め、その請求原因として次のとおり述べた。

一、原告は青森県上北郡大三沢町大字三沢字猫又百二十二番地に木造平家建店舗付住宅一棟建坪二十六坪二合五勺を所有していたものであるが、図らずも、昭和二十六年五月二十三日午後六時四十分過ぎ頃、隣接の古間木電報電話局(当時、電気通信省青森県八戸電気通信管理所管下)二階電信室より出火した火災のため、原告所有の前記建物一棟及びその内部にあつた一切の家財道具類を全焼するに至つた。

二、而して右火災発生の経緯は以下のとおりである。古間木電報電話局二階の前記電信室では、かねがね、同局職員等が、その炊事乃至湯沸等のため火鉢の火気を使用していたが、火災当日夕刻頃から同室で当直責任者として執務していた同局電信係員梅津己己人は、午後六時四十分頃、夕食用湯茶等を準備する目的で、同室所在の鉄火鉢(縦横夫々約七十糎)に炭火を起さうとして、木炭の下に紙屑を挿入し、電話器消毒用として同室の机上にあつた薬瓶入りのメチルアルコールを右紙屑及び木炭に流注し、燐寸を以てこれに点火したところ、紙屑だけが炎を上げて燃焼し、木炭には十分火がつかなかつた。その頃、偶々同室に居合はせた右宿直員の電信事務を手伝つていた同局員中村憲也は、右の様子を見て、自らこの炭火起しを試みようとして、梅津に対し「火を起さう。」と申出でたが、その際は、同火鉢で梅津が試みた直後であるから、未だ残火のありうる情況にあり、且つ現に残火が存したのであるが、梅津及び中村は両名とも、その事実を知り乍ら、或は知らなかつたとしても特に残火のないことを確認せず、漫然と、大事に至るべきことを予見しないで、梅津において依頼し乃至は黙視するまゝに、中村は、電話器消毒用として同室の机下に保管中のメチルアルコール約一、五ガロン在中の一斗罐を抱いて前記火鉢の真上約一尺の位置に携行し、これを傾けて、その口径約一寸の流出口から、火鉢内の木炭に流下させたところ、同火鉢内の残火によつて引火した流下アルコールの焔が一斗罐の流出口に達し罐内のアルコールに引火したため、瞬時にして右一斗罐が爆発すると共に引火した罐内のアルコールが四散して室内は火の海と化し、遂に本件火災を惹起するに至り、梅津中村両名ともに二週間以上の治療を要する火傷を蒙つたのみならず、古間木電報電話局々舎全部及び隣接の民家数戸(原告所有の前記家屋はその一戸)をも焼失して同日午後八時頃漸く鎮火した次第である。

三、そこで、本件火災は古間木電報電話局員梅津及び同中村の重大な過失によつて発生したものであつて、右両名の所為は失火の責任に関する法律及び民法第七百九条に該当し、且つ、右両名が訴外国(もと被告)の業務を執行するについて、生じたものである。それは以下の事由から明白に看取せられる。

(一)  そもそも電話器消毒用のメチルアルコールを、その用途に反して炭火起し等に使用すること自体、許さるべきでないが、中村が前記のようにメチルアルコールを流注しようとした際は、火鉢内に火気が残存したのであるから、その事実を知り乍ら、敢えてこれに一斗罐から直接アルコールを注ぐことは非常識も甚だしく重過失あることは明白である。仮令、火気の残存することを知らずに、その所為に出でたものとしても、その際は、これに先立ち梅津において一旦、火気を与え炭火起しを試みた直後であり、或は精々三分余りの後であるにすぎぬ時期であるから、火気の残存すべき情況下にあつた以上、事前に、火気の有無について検べるべき義務があるのに、中村及び梅津両名ともこれを怠つて、中村は自らアルコールを注ぎ、梅津はこれを依頼し、容認したこと、殊に梅津は当直責任者として、局舎の火災予防上、中村の右行為を阻止すべき義務に違反したことは、これを以て、両名の重大な過失によつて本件火災が発生したものと云うことが出来、両名の所為は失火の責任に関する法律及び民法第七百九条に該当する。

(二)  而して梅津及び中村の本件重過失は、古間木電報電話局員たる同人等が、当時訴外国の事業である電信電話業務を執行するについて、犯されたものである。梅津は宿直員として、右業務に当つていたし、中村とても、現に宿直員の電信業務を手伝つていたのであるから、中村が、古間木電報電話局三沢分室勤務者で、その勤務時間外の所為であるとしても、両名が国の業務の執行につき、犯した重過失であることに変りはない。

四、故に、本件火災によつて原告の蒙つた損害について、原告に対し、

(一)  国は先づ国家賠償法第一条第一項に基いて賠償の責に任ずべきである。即ち、国の電信電話事業に従事する梅津及び中村両名は国の公権力の行使に当る公務員であり、右公務員等が上記のように、その職務を行うについて重大な過失により本件火災を惹起し、因つて原告に損害を加えたのであるから、国は、先づ、右条項に基く賠償義務がある。又仮りに両名の所為が軽過失にすぎないとしても、国は、やはり右条項に基く賠償責任を免れない。

(二)  仮りに右(一)の責任がないとしても、国は民法第七百九条に基く賠償責任を負う。即ち公務員が不法行為によつて他人に損害を生ぜしめた場合は、国は先づ国家賠償法その他の特別法に基いて、その賠償責任を負うべく、その特別法の適用がないときは、一般法たる民法の適用を受くべきことになるが、その際は、同法第七百十五条によるまでもなく、直接同法第七百九条に基いてその責を負うべきことは憲法第十七条によつて明らかであるところ、本件につき梅津等は公務員であるから、国は、民法第七百十五条によるまでもなく民法第七百九条に基く賠償義務がある。

(三)  又、仮りに、直接民法第七百九条に基く責任がないとしても、国は梅津、中村等に対する選任監督につき不注意がある故に、民法第七百十五条に基く賠償責任を負うことは明らかである。

五、次に、以上の主張が認められないとしても、本件火災は以下のように、公の営造物たる古間木電報電話局々舎の設置又は管理の瑕疵によつて生じたものであるから、本件火災によつて原告の蒙つた損害について、国は、国家賠償法第二条第一項に基く賠償責任を負うものである。即ち、古間木電報電話局では毎月相当量のメチルアルコールを使用し、その割当を受けているが、メチルアルコールは消防法別表第四類に掲記されているように、沸騰点六十六度、熱灰によつても引火する如き、危険性の高いものであるから、これを保管するには、倉庫或はこれに類する建物を設置して、これにメチルアルコールの一斗罐を保管し、使用の必要あるときは安全な器具に少量宛移して倉庫外に持出す等、防火設備に万全を期すべきであるのに、これらの設備を施してないことは、消防法の施行されている今日では、営造物の設置に瑕疵あるものと云うべく、又、局舎の管理者たる古間木電報電話局業務長上見秀雄が、本件メチルアルコール入り一斗罐を、燃え易い紙片の山積する前記電信室に常置したまゝ、防火責任者もおかず、又、同室内で、同局員等が冬期ストーブを使用したり、炊事用に火気を使用することを禁ずる等、火災予防上、局員等に対する監督上の不注意があつたことは即ち、国の営造物の管理に瑕疵があつたものと云わなければならないからである。

六、而して原告が本件火災によつて蒙つた損害額は次のとおりである。原告所有の本件全焼家屋は、昭和二十六年三月十日新築落成した建坪二十六坪二合五勺の店舗付住宅であり、その使用目的たる喫茶店兼軽飲食店並びに事務所用に適する構造を具え、喫茶店経営については、すでに青森県上北郡七戸保健所に申請中で、使用器具等も購入し、家屋内部にはスタンド、椅子等を配置し、雇人の雇傭の予約をなす等、昭和二十六年六月十五日を期して開業準備万端整い、他方事務所としての使用も確定していたのである。

(一)  そこで先づ右建物の焼失当時における時価は少くとも坪当り三万円、即ち二十六坪二合五勺では七十八万七千五百円であるが、その後、建築資材、工賃等一般物価の高騰により、昭和二十八年二月当時における坪当り価格は金四万円となつている。かゝる価格の変動による差額は、特別事情による損害とするまでもなく、請求しうべきである(即ち原告において若し現在これを他に売却すれば、坪当り四万円で売却し得たわけである。)が、仮りに譲つて右が特別事情による損害であるとしても、本件不法行為当時国は統制物資たる木材が漸次供給寡少となつて、その価格は騰貴の傾向にあり、その他の建築資材も同様で、一般経済上にインフレーシヨンの素因を包蔵していたこと、従つて、本件家屋の価格の高騰することを予見し、又は予見しうべかりしものであつたから、いづれにしても、原告は国に対し、本件家屋焼失による損害として、坪当り四万円による価格即ち金百五万円の賠償を求めうべく、且つこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和二十六年十一月二日以降完済まで民事法定利率たる年五分の割合による遅延損害金の支払を求めうべきである。

(二)  右家屋内に、火災当時存在した動産、殊に衣服類及び家財道具類も亦全焼したが、その品目及び価格の明細は別表〈省略〉(一)及び(二)のとおりである。火災当時、原告は未だ本件新築家屋に住込むに至つていなかつたが、右動産は、既に本件家屋内に運搬済みであつたから、右物件の焼失したことは勿論である。而して、その焼失当時における価格は衣服類小計二十八万二千二百円、家財道具類小計二十四万三千六百十円、合計五十二万五千八百十円である。よつて、右金員及びこれに対する前記昭和二十六年十一月二日以降完済まで年五分の割合による遅延損害金の支払を求めうべきである。

(三)  次に原告は、本件火災のため、原告居住地方の慣習上、消防団員等に酒肴等を振舞うことを余儀なくされたから、その振舞費(内訳は別表(三)のとおり)三万二千五百円、及びこれに対する前記昭和二十六年十一月二日以降完済まで年五分の割合による遅延損害金の支払を求め得べきである。

(四)  又、原告は昭和二十六年六月十五日を期して、本件家屋で喫茶店兼軽飲食店を開業する運びとなつていたところ、本件家屋所在地たる大三沢町は、米国駐留軍基地に指定せられ頓みに殷賑を極めるに至り、本件家屋は、右駐留軍人等の出入りする好箇の地点に位したのであるから、原告が本件建物で前記営業をしていたとすれば、少くとも一日金二千三百四十円宛の純益を挙げえたことは明らかであり、その計算の根拠は別表(四)のとおりである。そこで昭和二十六年七月一日以降同二十八年六月六日まで一日金二千三百四十円の割合による得べかりし利益、合計金百五十三万九百八十円及びこれに対する請求の日である昭和二十八年六月六日以降完済まで民事法定利率年五分の割合による遅延損害金の支払を求めうる外、昭和二十八年六月七日以降本判決確定まで一日金二千三百四十円宛の得べかりし利益金の支払を求めうべきものである。

(五)  原告は更に本件火災による損害の賠償を求めるため、訴訟を提起し追行する必要上、弁護士森吉義旭に訴訟を委任し、その費用及び報酬として別表(五)明細書のとおり合計金十二万四千九百二十円(但し内金四万円は未払)を支出した。一般にこの種の弁護士費用については、夙に外国においても法律上不法行為による損害として承認されているのに、我国においては未だこれを認めない見解がある。しかし、我国でも、通例の訴訟事件においては、弁護士に訴訟を委任するのが常であり、且つ所謂弁護料の額も全国弁護士連合会によつて規定され、弁護士も同会の統制監督に服している実状に鑑み、間接的ではあるが、不法行為と相当因果関係ある損害として認むべきである。よつて原告は、国に対し、右十二万四千九百二十円及び既に支払済である内金八万四千九百二十円については、前記昭和二十六年十一月二日以降完済まで年五分の割合による遅延損害金の支払を求めうべきである。

七、然るところ、国の負担すべき上記の債務は、昭和二十七年法律第二百五十一号日本電信電話公社法施行法第四条第一項の規定により、昭和二十七年八月一日を以て、日本電信電話公社においてこれを承継し、同公社は、当初の被告国の訴訟を受継いだから、原告は被告公社に対し、上記の損害賠償債務の履行を求めるものである。

以上のように述べた。〈立証省略〉

被告指定代理人等並びに同選任代理人等は「原告の請求を棄却する。訴訟費用は原告の負担とする。」との判決を求め答弁として次のように述べた。

一、原告主張事実中、その主張の大三沢町大字三沢字猫又百二十三番地に所在の木造平家建店舗付住宅一棟が、その主張の日に、これに隣接する古間木電報電話局二階電信室より出火した火災のため、全焼するに至つたこと、右火災当日、右電報電話局員梅津己己人が宿直員であつたこと、右火災は、同局員中村憲也(但し同局三沢分室勤務)が同局電信室内の鉄火鉢に炭火を起さうとして、メチルアルコールを火鉢内の木炭上に注いだために生じたこと、(但し火災発生の経緯中、細部の点を除く)、古間木電報電話局ではメチルアルコールを使用していたこと、電信室の机下にメチルアルコール一斗罐が置かれていたこと被告公社が、一般に、日本電信電話公社法施行法第三条所定の国の権利義務を承継したことはいづれも認めるが、その余の事実は争う。

二、本件火災発生の経緯は次のとおりである。

古間木電報電話局二階電信室では、火災当日、午後四時三十分頃から同局員梅津が宿直員として勤務していたが、午後六時過ぎ頃同局員の中村憲也(但し同局三沢分室勤務者)及び田頭等が、私用を弁ずるために立寄つた。午後六時三十分頃、青森局から電信があつたので、偶々居合わせた中村がこれを受信し始めたが、これと相前後して梅津、田頭の両名は、火鉢に炭火を起さうとして鉄火鉢に紙屑を入れ、その上に木炭を載せ、梅津がこれにメチルアルコールを注ぎかけ、燐寸で点火したが、紙屑とアルコールが燃えただけで、木炭には火がつかず、田頭は火種を探しに他の部屋へ出掛けて行つた。この点火中止時は、おそくとも午後六時三十六分以前であつて、この時刻は、中村において青森局から電報(二通のうち第一通目)を受信した時刻を標準として逆算した結果による。その後、中村は青森局からの電信を受け終つて休憩中、梅津に「火があるか。」と尋ねたところ、「火はない」というので再度火を起す気になり、「俺が起こさう。」と云つて、室内の机の下辺にあつたメチルアルコール入り一斗罐(当時約三乃至四升在中)を取出し、火鉢に接近したところ、梅津はその危険なことを告げてこれを制止したため、中村は一旦思い止まつて一斗罐を元の位置に戻した。そこで梅津が安心して、火鉢に背を向けて食事を始めた間に、中村は勝手に再度、右一斗罐を取出し、火鉢内に火気はないものと思い込んで、罐の小穴(この穴は、アルコールが一時に多量にこぼれ出るような大穴ではない。)からアルコールを注いだところ、火鉢内に火気があつたためであろうが、メチルアルコールが燃え出し、炎が上つたので、急いで罐を床上に置いたが、炎が罐にまで燃え移り、罐内のアルコールが爆発して火災となつたものであつて、その時刻は午後六時四十五分であつた。従つてこの時刻は、梅津等の前記点火中止時から少くとも九分以上を経過していたわけである。

三、従つて(一) 本件出火は中村のアルコール流注行為によるものではあるが、中村の所為には重過失はないし、もとより梅津にも重過失はない。蓋し、中村の右流注行為当時は、炭火はなかつたのみならず、梅津の点火中止時から少くとも九分以上経過した後であつて、火は消えたように見え、仮令、火気が残存していても普通では分り難いような状態にあつたこと、並びにアルコール入り一斗罐の流出口は極めて小さなもので、アルコールが一時に多量に流出するものでなかつたことを綜合すると、かような情況下で、当時、中村がメチルアルコールを発火をさせるに足る火熱の存在するか否かを十分確めなかつたことは、同人に過失はあると云えても、一斗罐からメチルアルコールを火鉢に注げば、罐内のアルコールに引火して爆発することを自明の理として当然に予見すべきものとは云えないから、中村がこれを予見し得なかつたからと云つて、直ちに同人に重大な過失あるものと云うことは出来ないからである。

又、梅津は当初、火を起さうとしたが、炭に火がつかなかつたため、これを断念し、中村のアルコール流注行為を制止し、同人がこれに聴従したことを確認した後、梅津の不知の間に、中村において擅に、右流注行為に出た以上、梅津は当夜の宿直員として、一応の火気取締の注意を払つたものであるから、本件火災は同人の重過失によるものではない。

(二) 然かのみならず、中村の火気取扱上の行為は、当時国の業務についてなされたものでないから、国従つて被告公社は同人の失火について責任を負うものではない。即ち、中村は本件火災当時、古間木電報電話局の職員ではあつたが、同局とは別個の業務を担当する同局三沢分室勤務の職員であつた上、当日は偶々所用で古間木本局に来たが、用務終了し、退庁時刻後に、食事をしたり或は入浴に行く時間を待つ等、私用を弁ずるために、上記電信室に立寄つたいわば、外来者にすぎなかつたのみならず、宿直員梅津の制止をきゝ入れず、擅に火気を弄したものであるから、中村の火気取扱上の所為は、古間木電報電話局の従つて当時は国の業務の執行についてなされたものと云うことはできない。

四、又、被告には、国家賠償法第二条に基く賠償義務も存しない。そもそも、右規定にいわゆる「営造物の設置又は管理の瑕疵」とは、民法第七百十七条に云う「工作物の設置又は保存の瑕疵」と同様、当該営造物の安全性が客観的に欠けていることを意味し、人の行為に基いて他人に損害を加えた場合を云うものではない。然るに原告において、主張する事実、殊に本件局舎内の電信室に、メチルアルコール入り一斗罐を置き、火気取締責任者を置かず、しかも、室内にかけるストーブの使用及び炊事等を厳禁しなかつたこと等は、公務員の行為に関するものであつて、営造物の安全性を客観的に欠く事実ではないので、同法第二条に該当しない事実と云うべく、その主張自体、失当である。(尚、本件電信室には正副二名の火気取締責任者がおかれていたことを附言する。)仮りに、原告主張の事実が建物の管理の瑕疵となるにしても、失火による損害賠償を求める場合には、失火の責任に関する法律の適用があり、重過失の存することを要すべきであるのに、前述のとおり、中村等に重過失はないから被告に賠償の責はない。

五、仮りに、被告に、損害賠償責任ありとしても、その額は争う。

(一)  本件焼失家屋の落成したのは、昭和二十四年十一月二十四日であり、焼失家屋の時価に関する原告の主張は首肯し難い。

(二)  原告主張の衣服類、什器類等が、焼失家屋内に存在したとする原告の主張には、甚々疑わしい事情がある。即ち原告は、ベツドや衣類等の生活必需品を運び込んでおいたと言ひ、一日も早く、本件家屋に引越したい考えでいたとも言ひ乍ら、現に引越をしていなかつたことを認めていること自体からも疑わしいし、その他、家財道具を運び入れた形跡が認められない。

(三)  原告主張のいわゆる振舞費、及び弁護士報酬は、火災によつて通常生ずる損害ではないから、被告に賠償の責はない。

以上のように述べた。〈立証省略〉

理由

一、原告本人尋問の結果によれば、原告が昭和二十六年五月上旬頃その主張の地に、木造平家建店舗付住宅一棟を新築して所有していたことが認められる。而して右家屋が同年五月二十三日午後六時四十分過ぎ頃隣接の古間木電報電話局二階電信室より出火した同局舎の火災のため、類焼によつて全焼するに至つたことは当事者間に争がない。

二、そこでまづ右火災は古間木電報電話局職員中村憲也及び同梅津己己人両名の重大な過失によつて発生したものであるとする原告の主張について判断するに、いづれも成立に争のない甲第二乃至第五号証、甲第八乃至第十一号証、乙第一、第三、第四、第八号証(以上のうち甲第十一号証、及び乙第一、第八号証以外は、いづれもその一部)、証人梅津己己人、同中村憲也、同田頭市太郎、同高橋俊嗣の各証言(高橋証人以外については、いづれもその一部)を綜合すれば、次のような事実が認められる。即ち、本件火災発生個所である前記電信室では、火災当日である昭和二十六年五月二十三日午後四時三十分頃から、同局電信係員梅津己己人(当時二十二年)が、同日の内勤宿直員として在室勤務していたが午後六時頃、いづれも同局職員ではあるが非番の田頭市太郎(当時二十年)、赤井某及び中村憲也(当時十六年但し同人は当時同局三沢分室勤務者であつた。)等が偶々相次いで立寄つた。ところで宿直員の詰所である右電信室には直径約二尺の鉄火鉢があり、平素、宿直員等は、食事等のために、右鉄火鉢に炭火を起して湯茶等を沸かすことがあつた。そこで同日も、午後六時三十分過ぎ頃、宿直員梅津は田頭と共に、湯茶等を沸かすため、炭火を起さうとして、鉄火鉢に紙屑を入れ、その上に木炭(両手で二掴み位の分量)をおき、電信送話器等の消毒用として同室に存置してあつた一斗罐入りメチルアルコールを罐から直接、火鉢内に注いで紙屑等に浸み込ませ、これにマツチで点火したところ、一尺許りの高さの炎をあげて紙屑が燃えたが、木炭には十分火がおこらなかつたように見えたので、田頭は火種を探しに階下へ降りて行つた。その後で梅津は電信室の机上にあつた薬瓶に少量在中するメチルアルコールを火鉢内の木炭に振りかけてみたところ、僅かに炎を発して消え、木炭は少し赤くなつているのが認められた。中村憲也が同電信室に立寄つたのは、もともと私用を弁ずるためで、入室後はパンを食べたり或は電信器にかゝつて通信の練習等をしていたが、そのうち青森局から電信があり、その頃宿直員梅津(電信係員たる宿直員は、宿直中の電信業務について責任をもつことになつていた。)は、丁度、田頭と共に炭火起しに取りかゝつていた際でもあり又、中村自身たまたま電信器の台に入つていた便宜上から、宿直員梅津に代つて右受信に従事したが、それが終る頃、即ち午後六時三十八分頃(青森局におけるこの時の送信終了時は午後六時三十七分であるが、受信に引続いて通例約一分間を要する整理の仕事が行われる。)中村は梅津等において前記のように一斗罐からメチルアルコールを注ぎ、炭火起しを試みた結果炎が一尺位の高さに上つただけで、結局、奏効しない様子を見て受信後の整理を終えて電信器台から出てくると、梅津に対し「火を起さうか。」と声をかけ、梅津も「頼む」と答えた。そこで中村は前記の一斗罐を抱え、火鉢の上で、これを少し傾け、アルコールをかけようとすると(当時アルコールは右一斗罐内に少くとも半分以上存し、その流出口は直径約一糎五粍であつた。)はじめアルコールが一斗罐の外側を伝つて火鉢の縁に垂れたので、梅津は「縁へこぼすと危いから気をつけろ。」と注意したにとゞまつた。しかし、当時は、火鉢内にまだ火気が残存するのに、梅津はその有無を確めることもせず、火気はないと思うまゝ、中村が一斗罐から火鉢内にアルコールを注ごうとするのを何等阻止することなく、これを容認し、中村も亦、火気の残存することも確めないで、火気はないと思い、漫然と、右一斗罐の流出口を、火鉢内の木炭の真上約一尺の位置まで携行して、アルコールが罐の外壁を伝つて垂れぬような角度を以て、罐を傾け、アルコールを木炭上に注いだ(その分量は両手で約二回分)結果、流下アルコールは該火鉢内に残存していた火気によつて引火炎上し、その炎が罐の流出口に達して罐内のアルコールに引火し、危険を感じて該罐を床上に置き放した瞬間、右一斗罐が爆発し、同時に火焔が電信室内に満ち、本件火災となつたが、その時刻はおそくとも午後六時四十五分頃であつたこと。

右のように認められるのであつて本件全証拠中、以上の認定に矛盾する部分は信用し難い。そこで、以上の事実によれば、中村が火鉢内にメチルアルコールを注いだ目的は、宿直員梅津等の食事用の湯茶を沸かすため、電信室内で、火鉢に炭火を起すことにあつたのであるが、およそ、電信室のような屋内で、火鉢に炭火をおこす場合、メチルアルコールを火鉢内の紙屑や木炭上に注いでこれに点火するが如き方法をとることは、それ自体火災発生の危険を蔵すること大きく、通常、避けるべき方法であること論を俟たないが、本件中村の場合は、これに先立ち、梅津等が炭火起しを試みようとして、火鉢内に紙屑、木炭等を装置してこれにメチルアルコールを注ぎ、燐寸で点火し、アルコールの浸透した紙屑等を炎上させた直後、少くとも、その後僅々数分を経ない時期であつて、中村及び梅津両名は、右の点火、炎上の事実を知つていたのである。従つてこの火鉢内に更にメチルアルコールを注ごうというからには、メチルアルコールが些少の火気によつても引火する程、特に引火性の強いことを知る者としては、一般人として、通常の場合以上に火気の有無について特段の関心をもち、事前に火鉢内を適宜な方法でかきわけてみる等、些少の火気も残存しないことを確認するか、さもなければ、そもそもこの場合メチルアルコールを注ぐことを避止すべき義務があり、ましてその流注方法として、メチルアルコールの半分以上も入つている一斗罐を、火鉢内の木炭上約一尺の距離まで接近させ、その流出口から直接注ぐというが如き場合に前記義務の存することは尚更明白である。又、電報電話局の宿直員たる者としては、上記のような場合、前述の一般人としての注意義務の存することは勿論、この義務に反して敢えてアルコールを流注しようとする者のあるときは、当にこれを阻止し、以て局舎の火災予防に努むべき職務上の注意義務あるものと云わなければならない。然るに上記認定のように漫然と、梅津の容認するまゝに中村においてメチルアルコール流注の所為に出でたことは、右両名ともに、前示一般人としての注意義務を著しく怠り、梅津については尚、前示の職務上の注意義務をも著るしく怠つたものであつて、ともに重大な過失があり、本件火災は右両名の重大な過失によつて発生したものと云うべきである。

三、次に梅津及び中村両名の重過失は、その職務の執行につき為されたものであるとする原告の主張について考えるに、前敍のように、本件炭火起しは、宿直員梅津等が、その詰所である電信室で宿直業務の執行中、宿直員等の湯茶等を沸かすために行われたものである。およそ、宿直員が宿直勤務中、その食事用の湯茶等を沸かすため、平素行われている場所で炭火を起すことは、通常宿直業務に附随する業務の一部であると解せられ、又前認定のとおり、本件電報電話局においても、電信室で平素、宿直員等の炊事用に火鉢の火気が使用されていたのであるから、梅津等の本件火気取扱上の所為は少くとも、宿直員梅津の宿直業務の執行につきなされたものと云うことができる。古間木局員である中村憲也が当時、宿直員でもなく、又、本局勤務者でもなく、従つて同人については、その火気取扱上の行為が、その固有の業務の執行についてなされたものでないにしても、その所為は宿直員梅津の炭火起しに共同した以上、これと相俟つて古間木電報電話局の業務の執行について為されたものであると云うに妨げない。

四、そこで、古間木電報電話局員梅津等が職務の執行につき重大な過失によつて原告に与えた損害につき、

(一)  国は先づ国家賠償法第一条第一項に基く賠償責任ありとする原告の主張について判断するに、同条は当該不法行為者たる公務員が公権力の行使に当るものであることを要件として明定し、右の公権力の行使とは、国(又は公共団体)がその優越的意思の発動として、国民(又は公共団体の構成員)に対し命令強制する要素を含む権限の行使を意味するものと解せられるところ、本件について不法行為者たる梅津等は、いづれも古間木電報電話局電信係員乃至電信事務員で、当時電気通信省青森県八戸電気通信管理所所管の国家公務員であることは、前顕証拠上、明らかであるが、その業務の性質上公権力の行使に当る公務員とは認められないから、従つて既にこの点において国は、国家賠償法第一条第一項に基く責任を負うものと為すことはできない。

(二)  次に原告は民法第七百九条に基く国の賠償責任を主張し、一般に国家公務員が、その職務の執行につき故意又は過失によつて他人に損害を加えた場合、民法第七百九条に基き、直ちに国に賠償義務を生ずべきものと論ずるが、右の所論はとうてい採用し難いところであるから、これを前提とする民法第七百九条に基く主張は排斥を免れない。

(三)  よつて次に、民法第七百十五条に基く国の賠償責任について判断するに、前敍のとおり、梅津は当時電気通信省青森県八戸電気通信管理所管下古間木電報電話局電信係員であつて、火災当日、同局の宿直員としての業務の執行について、同局員中村と共に重大な過失によつて本件火災を惹起し、原告に対し損害を加えたものである。

而して右のような電信係員が電報電話局々舎における宿直業務の執行について、過失(本件失火の場合には重過失)により他人に損害を生ぜしめた場合には国は被害者に対する関係においては公権力の主体として顕現したものではなく、私経済作用に準ずる電信事業の使用者たる立場にあるから、右の関係については民法第七百十五条に従い、使用者としての賠償責任の有無が問われなければならない。従つて梅津等の使用者たる国は、被用者たる梅津等の選任及びその事業の監督について相当の注意をなしたか、又は相当の注意をなすも損害を生じた筈であるとの免責事由がない限り、右の損害を賠償すべき責があるところ、本件について右の免責事由の主張、立証がないから、国は原告に対し、本件火災によつて生ぜしめた損害を賠償すべき義務がある。

五、而して国の右賠償義務は、日本電信電話公社法施行の日である昭和二十七年八月一日被告日本電信電話公社において承継したことは、昭和二十七年法律第二百五十一号日本電信電話公社法施行法第三条によつて明らかである。

六、そこで、責任原因に関する原告の爾余の主張について判断するまでもなく、進んで原告の蒙つた損害の額について按ずるに、

(一)  原告主張の本件全焼家屋は、証人村越市郎(第一、二回)、同吉田兼吉、同関川勇太郎、同佐々木喜八郎の各証言並びに原告本人尋問の結果(以上はいづれもその一部)に、成立に争のない乙第九号証(その記載の一部)を綜合すると、昭和二十五年中から着工し、翌二十六年三月頃略完成した建坪二十六坪二合五勺の平家建木造家屋で、その前半部約十五坪はトタン葺、モルタル塗で喫茶店、食堂乃至は飲屋風のカウンター付の構造を有する店舗であり、後半部は柾葺で下見板を備え、ペンキ塗装でその内部は和洋折衷式の居間となつており、建物全体について建築材も上位のものが使用され、建て方も坪十二人口の大工で手の込んだ建築で、当時この地方としても特に立派な造りの家屋であつたこと、この建築費用として原告は、屋根の亜鉛代日本間の欄間の檜材代、扉材料代、窓の金具代等として金二十一万円を支出し、近家の製材商吉田兼吉に対しては、本件建築材料費金二十六万円余の債務(内五万円余は支払済み)を、下久保製材所、電気器具店(シヤンデリヤ代)、村越市郎(材木代)等、その他に対しては、本建築材料費として支払うべき債務合計金四十七万八千円を、他に大工賃債務約十四万円余を夫々負担し、従つてこの建築費用は総計約七十数万円(一坪当り約三万円)を要していることが認められるので、当裁判所の真正に成立したものと認める甲第二十五号証によつて窺いうる若し本件家屋が昭和二十九年二月当時存在するとすれば、坪当り略々金四万円の価格を有すべきことに鑑み、本件家屋の焼失当時における価格は、一坪当り金二万五千円の割合で算出した金六十五万六千二百五十円を以て相当額であると解し、これを以て焼失家屋の損害額と認める。尚、被告は、本件家屋の建築年月日は昭和二十四年十一月二十四日であつたと主張し、前示乙第九号証によれば、昭和二十五年度家屋補充台帳には、右主張に沿う趣旨の記載あることが認められるけれども、証人村越市郎(第二回)の証言によれば、右は原告が本件家屋による営業(飲食店)の許可を得る便宜上、予め、建築年月日を昭和二十四年十一月二十四日として届出でたことによることが認められるので、右乙第九号証を以て、直ちに前記の現実の建築完成年月の認定を左右する資料と為し難い。その他、焼失家屋の損害額についての前記認定に反する証拠は採用し難い。尚原告は本件火災後、一般に物価は上昇し又、他に高価で売却しえたことを理由として騰貴価格による賠償を求めうべき旨主張するが、その主張する如き一般的な物価上昇の事由を以て直ちに特別事情に基く損害であると即断することは許されず、而も本件家屋を他に高価で売却しえた筈であるとの具体的事情は、原告において立証を尽さぬところであるから、前記の一般的損害の額以上の損害の賠償を求めることは本件において困難である。

(二)  次に衣服類及び家財道具類を焼失したとする原告の主張について考えるに、火災当時原告がまだ本件家屋に住込むに至つていなかつたことは、原告も認めるところである。しかるところ、その主張の家財道具類並びに衣服類等は、既に家屋内に運び込んであつた旨主張し、証人村越市郎(第一、二回)、同吉田兼吉の各証言並びに原告本人尋問の結果中には、右主張に沿う部分もあるが、右は、証人梅津己己人、同佐々木喜八郎の各証言に照し、にわかに信用し難いので、原告主張の動産が、その主張のように、その全部が本件家屋内に存しそのため火災で焼失したとの事実を認めるに至らない。而してそのうち、例えば家具類の一部が火災当時に先立ち、家屋内にあつたことは証人佐々木喜八郎の証言によつても認められ、従つて焼失した動産の存したことを窺いうるのであるが、その品質、数量等につき、具体的立証が十分でないのみならず焼失した動産類の価格に関する原告提出の各証拠もいずれも客観的根拠に乏しく、採つて以てその損害額を定める資料とするに由がない。従つて、動産類焼失に関する損害賠償の請求は全部排斥するの外はない。

(三)  次に原告は火災の際の振舞費も亦、火災による損害として主張し、証人村越市郎の証言及び原告本人尋問の結果及びこれらの供述によつて真正に成立したものと認める甲第十七号証の記載を綜合すれば、原告が、本件火災に際し、その消火に当つた消防団三個所、知人及び近隣者等に対しいわゆる振舞酒を提供し、その費用として酒肴代、金二万七千五百円、副食物代金五千円、合計金三万二千五百円を支出した事実は、認められないではないが、右の出捐は、直ちに、本件火災によつて通常生ずべき損害とは為し難いのみならず、原告主張のように、原告居住の地方では、火災等に遭遇して消防団等の世話になつた場合これにいわゆる振舞酒を提供する慣習がある旨の特別事情の存在する事実は、証人村越市郎、同吉田兼吉の各証言及び原告本人尋問の結果によつても、未だこれを認めるに十分でないし、又、右振舞酒の提供が、原告の社交上の立場から、儀礼を尽す趣旨で任意に為されたものとすれば、その出捐は、右の儀礼上の要求に従うことを欲した出捐者自身において結局、負担すべきものであり、いづれにしても、右の出捐を以て、本件火災による損害として賠償を求めうべきものとは為し難いから、いわゆる振舞費の賠償請求も、排斥を免れない。

(四)  次に原告は、得べかりし利益を喪失したものとしてその賠償を求めるが、本件家屋が喫茶店乃至軽飲食店用の構造を具え、原告もその経営をなす計画を有したことは原告本人尋問の結果その他前顕各証拠によつて認めうるけれども、右経営をなすことによつて、その主張のとおり、少くとも一日金二千三百四十円宛の純益を現実に得たであろうとの事実は当裁判所の真正に成立したものと認める甲第十九号証によつても未だ確認し難く、その他の立証によつても、これを認めるに十分でない。

(五)  次に原告は弁護士費用合計金十二万四千九百二十円も亦、本件火災による損害として、これが賠償を求める旨主張するから按ずるに、不法行為の被害者が該不法行為を原因とする損害賠償請求訴訟の追行を弁護士に委任した場合、これに支払つた報酬乃至手数料及び実費等のいわゆる弁護士費用は、当該不法行為によつて直接に生じた損害ではなく、その直接的損害の賠償を求め、救済の具体的実現のために支出する費用であつて、間接的損害に属するものであるが、本件不法行為による直接的損害(即ち前記建物焼失の損害)の賠償を求める本訴の追行を弁護士に委任し、これに報酬乃至手数料及び実費を支払い又は支払うべき債務を負担することは、前記認定のような本件不法行為の事案に鑑み、右不法行為より通常生ずべき消極的損害であると解するのを相当とする。而してその賠償を求めうべき範囲は必ずしも、委任者において弁護士に現実に支払い、又は支払うことを約した報酬乃至手数料及び実費の全額であるとは云えないのであつて、諸般の事情を具体的に勘案して相当と認められる金額を定むべきことは云うまでもない。ところで原告本人尋問の結果に本件弁論の全趣旨を綜合すると、本件火災の被害者たる原告が、その損害の賠償を求めるための本訴追行を東京弁護士会所属弁護士森吉義旭に委任し、これに対して、報酬乃至手数料の趣旨と解せられるいわゆる弁護料として金十万円(但し内金三万円は未払債務)並びにいわゆる実費と解せられる東京、古間木間の二等往復汽車賃として金三千九百二十円、三日分の宿泊料として金九千円及び三日分の日当として金九千円をおそくとも本訴提起の日である昭和二十六年十月二十五日以前に支払い又は支払債務を負担したことが認められ、右金額は本件の訴訟物(但し、前段までに認容した焼失建物の損害額金六十五万六千二百五十円を標準とする)、事案の難易、並びに当裁判所に顕著な事実と認められる昭和二十六年当時施行せられていた日本弁護士連合会報酬等基準規程(昭和二十四年同連合会々規第七号)第三条によれば受任事件の報酬は手数料及び謝金としてそれぞれ目的物の価額十万円を超えるものは、内十万円につき三割以下の金額及び十万円を超える部分につき二割以下の金額の合算額とし、手数料及び謝金の全額は目的物の価額の五割を超えてはならないこと、同第七条には、受任弁護士がその事務所所在地以外に出張を要するときの旅費は汽車の場合一等料金一等なき場合は二等料金、日当は一日千円以上一万円以下、宿泊料は一泊千円以上五千円以下とする定めがあること、及び同じ頃、施行せられていた東京弁護士会々規弁護士報酬規程(昭和二十四年同弁護士会々規第三号)第三条、第九条にも報酬規準、旅費等の実費につき略々右と同趣旨の規定を設けていること、その他諸般の事情に照らして、相当な金額と認めうるから、右のうち、原告の請求範囲内である弁護料十万円、汽車賃三千九百二十円、宿泊料六千円及び日当九千円以上合計金十一万八千九百二十円の限度において被告は原告に対しこれを支払うべき義務がある。

七、そこで国従つてその承継人たる被告は原告に対し、本件火災による前記家屋焼失の損害として金六十五万六千二百五十円、いわゆる弁護士費用の損害として金十一万八千九百二十円以上合計金七十七万五千百七十円及びこれに対する訴状送達の日の翌日である昭和二十六年十一月二日以降右完済に至るまで民法所定の年五分の割合による遅延損害金を支払うべき義務があるから、原告の本訴請求は右の限度において理由あるものとして認容し、その余は失当として棄却すべきものとし、訴訟費用の負担につき民事訴訟法第八十九条第九十二条を適用して主文のとおり判決する。

尚本件につき原告は仮執行の宣言を求めるが、当裁判所はその必要がないと認めるので、右宣言を附さない。

(裁判官 柳川真佐夫 入江一郎 松井正道)

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